予備校

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大手予備校の歴史

大手予備校には、それぞれ特徴があります。それは、設立時のときにさかのぼってみるとなるほど、と思えるようなことがありますので、少し書き綴って見ます。

3大予備校のうち、最も歴史があるのは駿台予備学校です。設立は大正5年に前身となる東京高等受験講習会を設立し、昭和5年に駿台高等予備校で各種学校の認可を受けました。設立者は、もともと大学の先生で、旧制高校の浪人生を救うため、効率よく勉強する方法を伝授するための学校を作る必要性を感じて設立したようです。今の形になったのは、第二次大戦から7年後の昭和27年でした。

そして、次に作られたのは、河合塾です。河合塾は、今でも本部がある名古屋で、昭和8年に河合英学塾としてスタートしました。河合英学塾は、昭和12年に今の河合塾という名前に変えて、昭和30年に学校法人となりました。創設者は、駿台と同じく大学の先生で、設立の目的も旧制の東大を目指す浪人生のために作られています。何れも、大学の先生が当時としては難関の旧制学校を目指す浪人生のために、大学の先生が私財をなげうって始めたところが似ています。

これらの駿台、河合塾とは、少し違う歴史の始まりがあったのが代々木ゼミナールです。代ゼミの創設者は、もともと陸軍大尉で、戦後は自らビジネスを起こし、戦後復興に欠かせない材木を売る商売を始めました。ところが復興需要が一段落し、やめざるを得なくなり、親戚のつてでキャバレーやパチンコ屋などを手伝い始めましたが、そのうち自分で切り盛りするようになりました。

予備校経営は、自分の子供が大学受験をする時に受験状況がどうなるかについて調べたところ、定員に対して受験生が溢れるくらいにいることを知り、「これは商売になる」と、代ゼミの前身となる不二学院の経営に参画したことに端を発します。駿台、河合塾の創設者がもともと教育者で、浪人生を救済したい、という思いから始めたのに対して、代ゼミは単純に「商売になる」から始めています。動機に大きな違いがありました。

また、まったく新しい発想で予備校を始めたことで、自由な発想をもっていた強みがありました。自分が好きな科目だけ自由に取ることができる「単科ゼミ」は、こうしたことからスタートしたもので、受験生のレベルやニーズを反映させた発想によるものでした。駿台、河合塾は創設者がもともと教育畑だったので講師を集めるのも知り合いの紹介などだったようですが、代ゼミは畑が違っていましたので、今でいう「引き抜き」を始めました。当時、受験勉強の花形だったラジオ講座の先生に高級ウイスキーを自宅まで持参して口説いたり、当時としては破格の給料で大学の先生を雇ったりしていました。

その後、各予備校とも、全国展開を始め、共通一次試験(今でいうセンター試験)が昭和54年に始まって、全国データのニーズの高まりとともに、特に河合塾と代ゼミの二つの予備校は、開校ラッシュの時代に入っていき、駿台は大学を設立するなど急激に巨大化していきました。そして、更なる歴史を積み重ね、三大予備校の今があるのです。

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